人びとの基本的人権を護るため様々な活動をしてきました。これからも、新しい時代における人権の問題を見つめ、考え、発言し、行動します。
自由人権協会のこれまでの歩みの主なものを紹介します。
1947 年 5 月: アメリカ自由人権協会 (ACLU) ボールドウィン来日
ACLU (American Civil Liberties Union) は、1917 年、第一次世界大戦に際し、非戦の立場から基本的人権擁護の組織として学者らによって設立された。ロジャー・ボールドウィンは1920 年から 30 年間、理事長であった。同氏によって、日本における自由人権協会の設立が示唆された。
1947 年 11 月: 設立総会
基本的人権の擁護を唯一の目的とする日本で初の全国的市民組織として設立。弁護士、学者のほか各界の人々が参加。初代理事長に海野普吉弁護士が就任した。
1948 年 10 月: 国際人権連盟 (ILHR) に加盟
ILHR (International League for Human Rights) は 1942 年に設立された国連の NGO。本部はニューヨーク。
1950 年 12 月:「人権新聞」創刊
1951 年 1 月: 社団法人として認可
戦後改革の諸立法や人権思想の啓発につとめ、各地方に活動を拡げる。
1951 年 11 月:「人権と治安立法に対する講演と映画の会」を開催
朝鮮戦争勃発の後、政府の治安立法の構想に対し、いち早く批判した。
1954 年 1 月: 言論出版の自由特別委員会設置
1954 年 2 月: ボールドウィンから、沖縄人権問題の連絡を受け調査に着手
1961 年 11 月: 沖縄調査報告書発表
調査団の一部が渡航拒否を受けながらも、米軍統治下の沖縄の現地調査を実施し、沖縄における人権問題の実状を調査。発表された報告書は日本はもとよりアメリカでも大反響。1972 年沖縄返還実現の原動力となった。
沖縄調査報告書①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩
1965 年 11 月: サリドマイド訴訟の支援
日本で初めての薬害集団訴訟。協会が弁護団を編成し全面支援した。長期間の審理の結果、1974 年 10 月東京地裁で和解が成立し、被害者の恒久的救済機関「いしずえ」を設立。その後発生したスモン、エイズ等薬害被害者救済のモデルとなった。
1968 年 6 月: 政治亡命者保護立法要綱の発表
国際人権年のこの年、政治亡命者の人権問題の解決をはかるために研究、立法活動を進めた。
亡命者の地位に関する法律要綱
1968 年 10 月: 定款を改正して代表理事制をとる
1975 年 4 月: 国際人権規約批准促進運動を開始
研究会を設けるとともに、批准促進運動に参加。1979 年批准が実現。
1976 年 1 月: 協会事務所移転
協会事務所はそれまで、歴代の事務局長が勤務する法律事務所の片隅にあったが、サリドマイド事件の解決を契機に、念願の独立事務所を開設。理事会を始め、会員が参加する小委員会の開催、毎月行われる例会の開催、人権法律相談の定例化等の協会活動スタイルが整った。
1976 年 9 月: 台湾人元日本兵補償問題支援を決定
会員弁護士を中心に弁護団を編成して、1977 年 8 月戦死傷補償請求訴訟を提起した。世論の喚起と訴訟の力により、1987 年 9 月議員立法が成立。台湾の戦死傷者に日本政府は一人あたり、200 万円の弔慰金・見舞金を支給した(予算総額 600 億円)。
1976 年 11 月: 在日外国人司法修習生採用をめぐり最高裁に要望書
最高裁判所は日本国籍への帰化を条件としていた従来の方針を転換し、初めて在日外国人を司法修習生として採用した。
1979 年 9 月: 情報公開法の立法活動を開始
日本で初の情報公開法要綱を発表し、以後、情報公開法を求める市民運動の結成、モデル条例案の発表、自治体の条例案や国の立法案に修正意見を提示するなど、日本での制度化に重要な役割を果たしてきた。また、数多くの情報公開訴訟を支援してきた。
1981 年 12 月: 靖国神社問題に関する基本的見解を発表
わかりやすいパンフレットを刊行し、政教分離原則の意義を説明し、「国家護持」と「公式参拝」に、警鐘を打ち鳴らした。
1984 年 3 月: 国連人権委員会に精神医療問題で通報
宇都宮病院事件を契機に日本の精神医療問題を国連人権委員会に提起。精神衛生法を精神保健法へと改正するきっかけとなった。
1985 年 3 月: 法廷での傍聴人のメモの権利を求めるレペタ訴訟の支援を開始
1989 年 3 月、最高裁判所が傍聴人のメモを認める判決を出した。
判決当日、全国の裁判所法廷前の掲示板からメモ禁止の表示が削除された。
1985 年 11 月: 国家秘密法案の反対運動
国家秘密法案の国会提案に対し、市民の自由と人権を脅かすものとして「『スパイ防止法案』に反対しよう」とのパンフレットを発行し、シンポジウムを開く。
1986 年 2 月:「納税者の権利宣言」を発表
納税者には憲法上の納税者基本権があるとの立場から、違法な財政支出を差し止める権利などを宣言した。
1988 年 7 月: 国連規約人権委員会にカウンターレポートを提出
国内の人権状況を英文レポートにまとめ、日本政府報告書の審議期間中にジュネーブで国連関係者にロビング。審議状況をいち早く国内で発表した。人権規約の完全実施を求める日本の NGO の活動スタイルを大きく変えた。
1989 年 4 月: 英文ニュース「UNIVERSAL PRINCIPLE」の創刊
年一回の発行。日本の人権状況を網羅的に紹介。海外の NGO との情報交換に活用されている。
1989 年 12 月: 久保田メモリアルシンポジウムの開始
国連人権担当官として活躍中、ナミビアで不慮の事故死を遂げた久保田洋氏が実践してきた人権擁護活動を偲んで、毎年国際人権週間に国際人権をテーマにシンポジウムを開催している。
1991 年 10 月: 国際法律家委員会(ICJ)に加盟
ICJ (International Commission of Jurists) は、1952 年に設立された著名な国際的法律家団体。世界各国の最高裁裁判官、国際法学者ら著名な法律家によって構成される国連 NGO で本部はジュネーブ。協会の国内、国外両面での活動が評価され加盟が認められた。
1992 年 9 月: 大阪・兵庫支部結成
関西での人権活動に取り組むために支部を設立。裁判支援や立法提言を行っていいる。らい予防法廃止の運動に取り組み、阪神淡路大震災被災者の公的援助に関する立法を求めている。
1992 年 10 月: 金丸事件の訴訟記録閲覧不許可に対する特別抗告
金丸信氏に対する政治資金規正法違反事件の刑事確定記録の閲覧請求が不許可となったため最高裁に特別抗告した。
1993 年 6 月: 国連世界人権会議(ウィーン)に代表派遣
世界人権宣言採択 45 周年を記念した人権会議に参加し、「開発援助と人権」の声明を発表した。
1994 年 8 月: カンボジアへ人権調査団派遣
国連人権センターカンボジア地域事務所の協力により、法律家養成と刑務所の人権状況について調査した。また、カンボジア司法援助プログラムの一部を担当した。この年からカンボジア人司法研修生を受け入れた。
1995 年 9 月: 北京女性会議に代表派遣
国連の第 4 回世界女性会議が開かれ、協会理事が政府代表団に NGO 顧問として参加した。この参加は「批判と建設的対話」を共に求める協会のあり方を示した。
1996 年 1 月: 人権広告大賞創設
全国紙掲載の広告の中から、人権意識の啓発に貢献する新聞広告を大賞として表彰し、企業の人権啓発を促進している。
1997 年 11 月: 協会創立 50 周年
記念事業実施委員会を設置し、会員総力のもと出版、国際シンポジウム、講演会パーティをそれぞれ実施した。
1999年2月:ジャカルタで国際シンポジウム
人権救済機関のあるべき姿を求め、政情不安が伝わるインドネシアに7ヶ国50名が集い、海外ではじめてのシンポジウムを実施した。継続的に研究を進め、2000年4月に「人権委員会設置法案」の発表に至る。
1999年6月:女性差別撤廃条約成立20周年
記念事業としての連続のシンポジウムを4回開催し、その内容をそれぞれ出版した。2001年1月にはNY国連本部で開催された22会期に代表を派遣し、協会で取り組みを始めたドメスティックバイオレンス(DV)禁止法提言の手がかりとなった。
2000年1月:司法改革プロジェクト設置
政府司法制度改革審議会へ国民の司法参加を前提とする提言を行うプロジェクトを設置し、最高裁判事の選任、知的障害者の権利保護、Amicus Curiae(裁判所の友)、参審・陪審制の導入等を具体的に提言。
2001年4月:情報公開法施行
20年来の活動成果である情報公開法の施行を記念して、韓国・タイ・インド・フィリピン等から関係者を招き国際シンポジウムを開催。今後はアジア地域のネットワーク作りと法律の活用・運用実態の監視・制度の充実をめざす。
2001年8月:JCLU・DV禁止法案発表
家庭内暴力の問題にいち早く対応するため、プロジェクトを設置し、女性弁護士の実務経験を元に学者らと研究を重ね、JCLU-DV禁止法案を発表した。法案は党派を超えた各界の議論に寄与し、2001年10月には「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」として施行された。
2003年7月:国連経済社会理事会の国連特別協議資格を取得
国連経済社会理事会(ECOSOC)の国連特別協議資格を取得により、ECOSOC傘下の人権委員会等の会議に参加し、声明等を発表することが可能となった。国際人権に関する活動を進めるための大きな前進である。